【第03話】週2日のレッスンの日々。ライバルの多さとキャリアの違い。言葉の壁・・・
上京し1週間後早速レッスンがスタートした。芸能界のスターになると夢をもち芸能プロダクションに向かった。
プロダクションのレッスン室に何と50名以上の俳優の卵がいた。今まで、田舎に住んでいた自分の周りで芸能人になるという人は1人もいなかったのでまずその人数の多さに驚いた。
役者、俳優希望者、つまりライバルがこんなにも多くいるとな思わなかった。田舎とは違い、東京という場所の人の多さを知りました。
さらに後で分かったのだが、1人1人のレベルに合わせてクラス分けがされていて、私が通う芸能事務所には数百人の人達が夢を見て通っていた。また、皆が着ている洋服、レッスン着にも違いを感じ驚いた。自分はプーマというメーカーのジャージでした。周りはハイブランドで固められお洒落に敏感な人も数名いた。
周りの華やかで、きらびやかさに私は浮いていたように感じた。レッスン初日は1時間のレッスンでしたが、私は凄く場違いなところに来たなと圧倒され、その初日のレッスンのことは何も覚えていないし、何が行われているのかさえも記憶にない。
それほど、今までの人生で違和感を感じた日はなかった。それから週に2回のレッスンに通うようになるが、最初の1ヶ月は何をやってるのかも分からず、周囲に圧倒されっぱなしの毎日だった。
また、レッスンはクラス分けされていて、私と同じ時期に入って来た仲間は35名で、毎月のように役者希望のライバルが同じ事務所に入って来てた。クラスの話もしておくと、いくつかの段階がありますが、、、、
1、新人生2、研修生3、ベテランというステージがあった。ステージによって受けられる仕事の量、数も決まっていた。つまりベテランになると仕事も多くチャンスがあるということ。実力社会である。
また、事務所のレッスン生だけで、トータル300名以上が在籍していた。その中には、ベテランの先輩も数多く、なんと10年以上役者をしているという人もざらにいた。
さらに田舎から出て来ているので、もう一つネックになったのが言葉の壁(方言)でした。この言葉の壁には本当に苦労した。東京は標準語で皆話しているところに私も会話に加わると、言葉がうまく伝わらず、年下の全然会話したことのない子からも(何言ってるの?もう一度話して?)とバカにされた。
この年下の子はOOOはもう10年以上経験のある子でベテランだった。が、ものすごくイライラしたのを覚えている。それと同時に私はOOOを私わ避けるようになった。
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